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思い出人生3「思い出の港町」の巻
広島県福山市港町
これが私が幼児から中学1年まで過ごした住所です。
「港町」
なんといい響きではないでしょうか。

私の育った港町の港は、漁港と言うより商業港でした。

具体的にどんな荷が積み降ろしされていたか詳しく覚えていないのですが、

みかんの時期には瀬戸の島々でとれたみかんを、船にふたなしでバラのままめいっぱい積み込んできて、港でそれを船からコンベアーで積み下ろし場に下ろし、その場でみかんの大きさを木の枠で仕分けして、大きさ毎に木の箱に入れて野積みしていました。
小学の時はこのみかんを積み上げた木の箱の中に基地を作り、学校の帰り道で寄り道してずいぶんおいしい思いをしていたものです。
なにせ基地を作っているもの自体が食糧庫なのですから…。


 




また丸太も多かったです。
これもまた格好の基地となりました。
中国山地の山から切り出していたのでしょうか、太い大きな長い木なら1本だけ、少し小ぶりなら数本から十数本、馬に曳かせて港まで運んでいました。
学校の帰り道に後ろからそっと行き、馭者に見つからないようにこの後ろに乗るのがスリルがありしかも楽ちんで、とても楽しみでした。
たまに馭者に見つかり蜘蛛の子を散らすように逃げていましたが…。

小学校から絵を描きに行くのもこの港にも行きました。
当時絵を描くのが好きだった私は、いつもの基地とはちょっと違った公の場所で、運搬船等を嬉々として描いていました。

毎朝マラソンをするのも、海からこの港まで引き込んでいる長い水路の土手でした。
水際の早朝マラソンは大変気持がよかったです。

この水路ももちろん遊び場で、係留している伝馬船に乗ったり、走っている運搬船を眺めたり走って競争したりしていました。

釣りはこの水路の土手の外側にある調整池でした。
小学の時はまだ日本鋼管が設立されてなく、魚は豊富でした。

運搬をしながら水上生活をしている人の生活の一場面も見ました。
船から海に半間(もっと小さかったでしょうか?)ほど突き出された、そして周りに高さ50センチほどの囲いだけあるのがトイレと知った時には何か悲しい思いをしました。
船に洗濯物を干していたり、生活している場が何となく見えていました。

以前、松戸から臨海公園まで自転車で往復をした時に、坂川を下り市川に入り、それから江戸川を下って行ったのですが、その途中に昔の福山の港と似た光景があったので昔を思い出し感動したことがあります。

以上の福山の光景は、今から半世紀も前のことです。
| http://4choume-harikyuin.com/blog/index.php?e=7 |
| 思い出人生 | 10:51 AM | comments (x) | trackback (0) |


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